お世話になっている老師方

張禹飛老師(1955年生まれ)

張禹飛老師
張禹飛老師
 馮老師の古くからの高弟で1984年くらいから師事していると言われている。過去南拳、大成拳等やられた由にて、とにかく強い師を求めていた処、北京にて馮志強老師にお会いした。北京陳式の副秘書長もやられており、馮老師の右腕と目される。馮老師の中国で発売されたvcdにも96年に出された通信教育の教材ビデオにも出ておられ、通常道具の王と言われるのは槍ですが、槍に関する教えを授けられている数少ない弟子です。中国のvcdの二路の中で張老師が槍さばきを見せて居られています。

 一言で言って拳理に一番くわしいと言われており、実際用法その他質問しても正確な回答が返ってくる説明には感心する事が多い。又、剣に関しても腕はぴか一でかなり以前に全国大会で数少ない伝統太極拳から参加し3位になった由。然し乍らその時の判定に問題があったとかで、それ以来大会には出ておられていない。又馮門下ではつとに知られた人格者でもある。よく言われる武徳の人である。

 張老師は土、日には天壇公園の一角で練習されていますが、その練習には自然と馮老師で学んだ師兄弟のツワモノが集まってくるといった感じです。但し、皆目的意識を持って集まってきておられ、それぞれが自分がやりたい事をやっておられ、張老師にわからない処を聞くといったスタイルです。皆さん 10年以上練習されていて、それぞれ武勇伝の持ち主。もともと実戦太極拳家の馮老師の名を聞いて、半ば試すつもりで入門された人もいると聞いています。推手の際は小生も呼ばれ相手を務めますが、かなりの功夫(コンフ/修練によって身に付けた威力)です。彼らは先生クラスの力量ですが、套路の一部を忘れたとか、剣や刀の復習をするとかの為に集まってきています。ですから日本でよくある単に健康をめざした太極拳というより武術的色彩の強いものとなっています。

 張老師自身の套路は現在馮老師が行なっている套路とは違います。張老師によれば馮老師が一番強かった時期の套路を残したいとの事で50から60歳にかけて行なわれていたものをやっておられるとか。

 小生は偶々天壇公園で練習していたとき功夫がある人が練習していたので声をかけ、先生は誰かお聞きした処馮老師だとの答えが返ってきて驚いた次第。全く偶然の出会いでした。中国人がよく言う縁を感じます。以後剣を主体として教えて頂いています。

 2000年の10月に開かれた北京陳式(陳発科の元弟子が中心となっている組織で馮老師が会長、田秀臣等の弟子も来られている)の大会の際は審判長をされていました。

朱鋼老師(1964年生まれ)

朱鋼老師
朱鋼老師
 朱老師は非常に柔らかく重い套路で馮老師の関門の弟子(最後の弟子)にあたると思われる。多くの弟子の間ではあまり知られていないが、その功夫はかなりのもので馮老師も小生に同氏の功夫はすごい旨ある比喩をいれて言われた(ここで掲載するのは差し障りがあるので控えるが)。しかも同氏の功夫はわずか4―5年で到達したのもで、馮老師も上達が早すぎると言われていた由。あまりに早く功夫をつけられたので、馮老師がどうしてその様に早く功夫をつけられたのか朱老師に聞かれ、朱老師の回答に成る程と納得されたとの話です。小生も朱老師の回答に成る程と感心したものでした。但し、性格的には他の弟子と仲良くやっていくタイプではなく、一匹オオカミ的な処がある。小生の太極拳の最初の直接教えて頂いた老師である。当時は太極拳が気の武術であるとは良く解らなかったが、朱老師が小生の胸の前で手を上から下に降ろしただけで前によろけてしまい気の作用を示された時には驚いたものでした。

 朱老師の基本的な考え方は多くの技を覚えるより一つの技を掘り下げ一で万にあたるという考え方で八極拳の李書文を思わせるものがある。通常は多くの技を覚え万で一にあたる人が多い。常々"Simple is best."と言われている。套路も24式を徹底して行なう。二路でさえ柔らかく非常に重い套路となっており、飛んだり跳ねたりせず、鉄か鉛の塊が套路を演じてがごときである。所謂陳式の風格とは違うものがある。

 寝ても醒めても如何すれば真功夫を得られるかだけに腐心してきたらしく、奥さんの話では夢でも真功夫と言われながらうなされているとの事。

[同氏のエピソード]

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